天涯孤独で、場面緘黙症他心身ともに病の半世紀を生きた男

本当に孤独な男です。両親も親類もいません。友達もいません。一人でこの世をさまよっています。自分が生きてる証としてブログを始めました。

越後屋

私が初めて就職したのが、日本蕎麦店 越後屋。


まだ15歳でした。90年代。丁稚奉公のようなものでした。


店名の通り、新潟出身の夫婦が経営していました。


まだ、出前といえば、寿司、ラーメン、蕎麦くらいでしたので


(ピザも少し出てきた)出前の電話が鳴りやまなかった。


蕎麦の特徴は、「ふのり」という海藻をつなぎに使った、


喉越しのよい蕎麦。


お相撲さんの、まわしの両脇に付いている、居酒屋の暖簾みたいの?も


ふのりで固めているそうです。


下処理が大変で、乾燥ふのりを水でもどして、石灰を加えて水洗いします。


砂や貝、小さなエビ、カニとか異物を除去します。冬は辛い作業。


洗い終わったら、鍋で焦がさないように、弱火で混ぜながら数時間煮ます。


溶けてゼリー状になり、赤色だったふのりが、鮮やかな緑色になるのです。


冷めると、ぷるぷるの寒天のよう。固まって緑茶ゼリーのようです。


全粒粉の蕎麦粉に、水は加えず、この布海苔のみを加えて製麺します。


かえしは、本返し「加熱したもの」


中ザラメ糖、本みりん3升、さかしお1升、ヤマサ醤油18ℓ、東丸18ℓ。


後に本膳という高級醤油に変えました。


みりん、さかしおにザラメを加え加熱し、ザラメが溶けたら醤油を加え


沸騰させない。それを、ステンレス寸胴に移して寝かせる。


長く寝かせたほうが良い。支店では、陶器のかめに入れ、店外に保管していた。


味が全然違った。陶器だと、呼吸するのだと思う。熟成されて深味がある。柔らかい。


本店はスペース的な問題で、それができなっかった。


だしは、本枯節。さば、そおだかつお、煮干し、立派な日高昆布。


もりつゆは、1番だしとかえしを1対1で割り、冷蔵庫で2日寝かせる。


かけつゆは、もりつゆを2番だしで割ったと思う。昔のことで定かでない。


らーめんも作っていた。


小麦粉に玉子、かん水を加える。


かん水とは、苦い水。なんか、アルカリ性ぽ


い水だった。


確かではないが、中国のかん湖の水?


かん湖のかん石から作った?水?


と、当時そんなことを聞いた。


かん水を入れる意味も分からない。


ラーメンは人気メニューで350円。


昔ながらのシンプルな鶏ガラスープ


のラーメン。具は、パサパサの煮豚


一枚、メンマ、🍥一枚、青味のほうれん草


。ラーメンの青味は、ほうれん草が1番好き。


メンマも、塩蔵メンマを塩抜きして、


炒めて味を入れて、手間暇かけて


作っていた。このメンマが大好きだった。


うどんも作っていたが、正直いまいち。


小麦粉に、グルテン「植物性タンパク」


塩水8%海水くらい。


そば定食が700円。


海老天と大葉天、小かけ蕎麦、ご飯、


おかず小鉢、漬物。


サービス定食650円。


お皿に冷たい蕎麦、大きなかき揚げ2枚。


おかず小鉢、ライス、漬物。


へぎ蕎麦700円。


へぎと呼ばれる四角い木の器に蕎麦を


ねじるように、一口サイズに盛り付ける


薬味に、ネギ、うずら卵、すりごま


が付いていました。


因みに、私の初任給は56000円でした。


ボーナス20000円。年間休日56日。


盆、年末年始、休み無し。


22歳まで勤めました。


数年前、店の前を通ったら


な、な、な、なんとタイ料理屋に


なっていました。店構えはそのまま。


娘さんがいらっしゃたので、


娘さんがタイ人と結婚して、


業態変更したのかと想像しましたが、


タイ人夫婦がやっているとのこと。


だから、多分居抜きで安く貸したの


だと思います。口コミみると、内装


もそのままのよう。


これも運命を感じる。


私がタイと出会ったことと。


グーグルの口コミは、とても良かった。


美味しいらしい。遠くからも客が来ている。


日本で、高いタイ料理を食べる気はないが


一度食べに、行ってみようかと思う。


でも、まだ行けないでいる。


若かかりし日の、思い出が甦って


涙が出るかもしれないから。


明日は雪の予報

首都圏、明日も雪の予報。


前回の大雪だった2月5日は、私は日本にいなかった。


その日の朝5時30分に家を出た。気温は0℃、まだ雪は降っていなかった。


タイ、バンコク スワンナプーム空港に現地時間14時50分到着。


空港バスターミナルから、バスでチョンブリーへ。ノンモン市場17時到着。


市場から宿までバイタクで10分。バンセンビーチ近くの安宿に17時30到着。


大雪で大混乱の日本を、みごとに脱出できたのでありました。


夕方の便だったら、飛んだか分からないし、空港に行けなかったかもしれない。


本当に幸運だった。高い航空券だったが、その価値がありました。


現地は、朝夕は涼しいが昼間は34℃、陽が近くなる夕方は36℃だった。


昼間は暑いので、朝夕にビーチを歩いた。椰子の葉が海風にそよいでいた。


3日滞在して、シラチャーへ。シラチャーからシーチャン島へ。


シーチャン島では、1日約1000円でスクターをレンタル。


小さな島なので、2時間で1週してしまう。ビーチで海に入った。


1泊してシラチャーに戻り、沈没生活。


自分にしては、大金の1泊4000円もするコンドミニアムタイプの


ホテルに2泊引き籠る。高すぎるので、2000円弱のホテルに移動。


3泊引き籠りして、日本へ帰ってきました。


もちろん一人ぼっち。日本にいるのと変わりない。


でも、日本にいるより最高だった。


今回は逃げれないなあ。

海外旅行

まさか、こんな私が、外国に行くなんて夢にも思っていなかった。


きっかけは、まだ、身心ともに元気で普通に働けた20代後半。


働いていた会社で、サイパン旅行に行けることになりました。


私は、全く興味が無かったので、パスポートさえ有りませんでした。


が、事務員さんが「もったいないよ。せっかくだから行っておいでよ!」


と言ってくれ、急いでパスポートを作りに行きました。


それも大変でした。今と違って、本籍地まで戸籍謄本を取りに行った。


でも、旅行日に間に合いませんでした。


旅行には、間に合わなかったけれどパスポートを作りました。


次の年に、会社で韓国旅行に行けることになりました。


それが、初海外でした。


飛行機に乗るのもはじめて。全てが衝撃的でした。


初めて外国に行って、「世界は広いのだな~。」「なんて自分はちっぽけなのだろう」


と思いました。


それで、会社では半年に一度、営業成績のコンクールがあり、上位入賞者が海外旅行


に行けました。もう、本当にがんばりましたね!!


絶対に旅行に行くためにがんばりました。


韓国2回、グアム3回、上海、に行きました。


そして、景気がどんどん悪くなり、旅行も国内になりました。


沖縄観光バスツアー。


最後の旅行は、都内観光はとバスツアーでした。


ホテルは、帝国ホテルでしたが、一番安い部屋で何の感動もありませんでした。


サイパンには未だに行ってません。あの時行っておけばよかった。


今、思うと人生で、その頃が一番輝いていた。充実していたと思います。